その 夢に見た水の都は…(part2)

part1から続いて、二日目について記録していこうと思います。

 

1.起床~探索開始まで

前日早く寝たこともあって、朝5時に目を覚ましたので、あれこれ片づけてから行動開始。朝ごはんまでに2時間ほどあるので、散歩に出かけました。

雨はほとんどやんでいましたが、相変わらずの強風。

しかも、「ちょっと散歩に出るだけ」と思ってスマホも地図も置いていったくせにサン=マルコ広場で日の出を見たい!と欲を出したので、しっかり迷子になりました。

なんとかサンタ=ルチア駅を目指しているらしいおばさんを見つけたのでその後をこっそりとつけ、ホテルに到着。

 

僕がヨーロッパ旅行で楽しみにしていたことの一つ、朝食のパンとエスプレッソ。

甘くて美味しかった……朝食以降の食事がちゃんと決まっていないこともあって、念のためと食べすぎてしまいました。

 

2.出発からムラーノまで

前日にローマ広場にて購入した、ヴァポレット一日乗車券(20ユーロ)。結論から言えば、めちゃくちゃ重宝しました。ヴェネツィアの移動手段はこのヴァポレットと徒歩だけなので、分かり切っていたことですが。

まずは駅前のヴァポレット乗り場からローマ広場を経由して、鐘楼にのぼるためにサン=マルコ広場へ。だいたい30分くらいだったでしょうか。

入口に、今日の天気が数か国語で書いてあるのですが、中国語で「極寒強風」と書いてあって笑ってしまいました。エレベーターで上までのぼり、そこから本島が一望できました。絶景かな。広場とは反対側にあるサン=ミケーレ島や、その向こうのムラーノ島も見えました。風が強かったのですぐに降りてしまいましたが、暖かければ上でのんびりするのもよさそうです。

鐘楼といえば『ARIA The OVA ~ARIETTA~』ですね。ちゃんと裏口の写真も撮ってきました。中には入れませんでしたが。

 

その後徒歩にてコンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段へ。

この階段、原作では「アテナがシャボンの国のお姫様としてアリスをもてなす」回の舞台になっており、劇場版ではクライマックスを迎える、ARIAシリーズにとって重要な場所なのですが、2015年の1月末(僕たちが旅行に行く2週間前!)まで、数年間にわたり工事が続いていて、のぼることができなかったのです。

こんなタイミングでのぼれるようになり、しかも当日は僕たち以外ほとんど客がおらず、まさに奇跡! 素敵な景色を独占してしまいました。

ちゃんと最上階からフェニーチェ劇場が見えて、「ここからアテナ先輩が……」と勝手に感動。中庭では猫を見つけることもできて、劇場版2話で猫を探していた、あずさやアーニャの気分。

 

魚市場に移動する最中、前日に見つけることができなかった、『ド・モーリ』や『ド・スパーデ』を発見(雨が降っていたのと、疲れていたので探索に時間をかけられなかった)。あとで行こう、と場所だけ覚えてそのままスルー。

ほどなくして魚市場のトラゲット乗り場に到着。

ORIGINATION 4話、アトラ、あゆみ、杏の三人組と灯里が出会う場所がここです。

天候不順のためにゴンドラに乗ることができなくなってしまったため、どうしてもゴンドラに乗りたい!という思いもあり、トラゲットに乗って対岸へ。

観光のゴンドラと違い、トラゲットにはみんな立ったまま乗ります。予想以上に揺れて、ちょっと怖かった……。お酒が入った状態じゃ、無理かも。

乗車賃は2ユーロ。通常のゴンドラは80ユーロなので、40分の1。ゴンドラに乗るだけ乗りたい、という方におすすめですね。

そのまま徒歩で「Fondamente Nuove」駅へ。

 

そこからヴァポレットに揺られてサン=ミケーレ島に到着。

NATURAL 20話で、黒いドレスの女性を乗せて灯里が向かう墓地の島ですね。

観光するような場所でもないので、日本人が二人で降りたら浮くかな……と思っていたのですが、予想以上に人が降りて行きました。中に入ると、まあ墓しかないのですが、年代別に区画が分かれており、最奥では1800年代後半に没した貴族や大物らしき人物たちの墓が……。

カルネヴァーレの時期になると、仮面をつけた霊たちが蘇って――。

みたいな雰囲気がありました。本島が賑やかで活気に満ちていただけに、音もなく、半ば荒らされた墓が並んでいる様子は正直ぞわっとしました。

 

地理的には本島→サン=ミケーレ島→ムラーノ島と並んでいるので、ここからそのままムラーノ島へと移動。

ムラーノ島といえばヴェネツィアンガラスの名産地ですね。かつて、技術の流出を防ぐために職人たちをこの島へ閉じ込め、代わりに高給を与えたという激しい「アメとムチ」的な法律がありました。

どこもかしこもガラス、ガラス。この頃には天候が回復して上着が要らないほど晴れ渡っていたので、町中に置かれた巨大なガラスのオブジェもきらきらと輝いていました。

そこで家族や友だちへのガラスを購入。かなりお金を使ってしまった……。

120ユーロくらいかな。ここで、旅行の全行程を通して一番お金を使いました。

みんな商売がうまいですね。

ちなみに、ムラーノ島といえばネオ・ヴェネツィアンガラスの話。たしか、NATURALの前半だったと思いますが……記憶が曖昧。

「あなたのネオ・ヴェネツィアンガラスに対する想いが本物だからです」

という台詞を聴くと、この頃にもう灯里は「完成」していたんだな、と思いますね。

 

 

3.本島探索後半戦~サンタ=ルチア駅まで

さてさて、いったん荷物を置くために、ムラーノからサンタ=ルチア駅までヴァポレットで戻ってまいりました。その間40分ほど。エンジンの音と、船の揺れがずーーーーっと一定なので、つい眠りに落ちそうになりますが、周りの景色を見てなんとか耐える。

ホテルに戻り、スーツケースにガラスたちを入れて、探索再開。

リアルトの魚市場周辺で、『Do spade』に入る。お昼ご飯です。

ここは、かつて二人の騎士が一人の高級娼婦を巡って決闘をした場所なのだそう。

そこから「二本の剣」を意味する「Do spade」という名前がつけられたとか……。

ハイシーズン時は予約必須のこの場所ですが、5分ほど待つとすんなり入れました。

 

前日にシーフードが食べられなかったので、僕はボンゴレ・ビアンコ、友人はイカ墨のパスタ、あと前菜に赤ちゃんダコのトマト煮を注文。そしてこれまた店員おすすめの白ワインで乾杯。一人22ユーロ。とても美味しゅうございました。

ヴェネツィアだと、このタコのトマト煮が一番美味しかったかもしれません。

 

腹ごなしに、アカデミア橋まで歩くことに。

アカデミア橋といえば、ORIGINATION 6話でアリスがアリシアさんとお喋りしている場所ですね。「だって……恥ずかしいじゃない」と笑うアリシアさん。頬を染めるアリシアさんが見られる貴重な話です。

本当に木造でした!

疑っていたわけじゃないけど、傷むのも激しいだろうし……。

そこからサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会へ。ペスト終焉を神に感謝して造られたこの教会は、アリスのミドルスクール卒業式を執り行った教会としても知られています(僕に)。

サルーテ教会は本当に静謐で綺麗だった。行ったとき、ちょうど斜めから僕らに日の光が射し込んできて、なんだか神々しかった(僕らが)。

 

さてだいたい行きたいところに行ったかな……と、手持ち無沙汰にしていると、

「そうだ! 不幸の石行ってないじゃん!」と思いだす。

急遽歩いて向かうことに。

不幸の石は、観光ガイドにはまず載っていない、というかARIAの聖地巡りでもしないとまず行かない場所(観光スポットでもなんでもないので)。劇場版2話で出てきた場所ですね。位置的にはサン=マルコ広場の北、リアルト橋とフォンダメンテ・ヌォーヴェ駅の中間くらい……。

狭い道に、ありました。踏んできましたよ、ちゃんと。

原作通り「えいやっ」と言いながら。

「踏むと絶対に良くないことが起こる石」ということで、ケット・シーに会うことは叶わないどころか、その夜は人生で一番「限界」を感じる出来事がありました。そのことはヴェネツィア旅行とは関係ないので、わざわざ書きませんが。

 

いやあ、不幸の石、恐るべし……。

 

さてさて、一通り聖地巡礼が済んでしまった僕らは、近所のカフェで体制を立て直すことに。ヴェネツィアが発祥であるティラミスを食べ、カフェラテを飲み、再び出発。次なる目的地は、アルセナーレ。

 

近くのヴァポレット乗り場からサン=マルコ広場へ移動。

そこからスキアヴォーニ河岸を歩いてアルセナーレへと向かいます。

夕陽に沈むサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会、とても綺麗でした。

アルセナーレはイタリア海軍が管理する造船所で、近くには宿舎と思われる建物が多く、喧騒を離れてのんびりとした時が流れる場所です。アルセナーレ自体はARIAには出てきませんが、復活祭の『海との結婚』の際に総督(ドージェ)がのる巨大な船、ブチントーロ(原作の漫画でグランマが乗っていたアレです)を作っています。

ということで、ゆかりがないわけでもない……?

 

近くのバーカロでスプリッツを飲みながら一時間ほどまったりとしました。

時期が時期なので6時すぎに店じまい。路頭に迷いながら集合時間までふらふら。

 

そして9時頃、サンタ=ルチア駅へと来ました。

駅にはピアノがあって、誰でも勝手に弾くことができるのですが、せっかくヴェネツィアということで劇場版ポケットモンスター『水の都の護り神』のテーマ曲を弾かせていただきました。

記念にね!

 

4.まあそんなかんじで

今後は旅もまだまだ続くのですが、ヴェネツィア旅行自体はここでおしまい。

人生初ヴェネツィアは、満足度的に70点(100点満点で)!

というのも、「ゴンドラに乗れなかった」のが痛すぎる。次回は絶対に乗ります。

そして行きたかった場所『ド・モーリ』『アッラルコ』は謎の定休日。定休って言わないか。不定休。ここも絶対に行きたかったので、次回に期待。

 

それ以外は、調べた通りにことが進み、聖地巡礼もきっちりすべてできたので、大満足。ちょっとだけかじっていったイタリア語も使えて、下準備がいかに重要かということを思い知らされました。ご飯も美味しかったし。

次に行くとしたら夏か、カルネヴァーレですかね。

 

最後に、使ったお金を大雑把にまとめます。

テルチャージ…3ユーロ

鐘楼…8ユーロ

ボーヴォロ階段…5ユーロ

ムラーノ島での食事(ピザとコーラ)…4.5ユーロ

お土産のガラス…116ユーロ(28*3+22+10)

ド・スパーデでの食事…22ユーロ

不幸の石近くのカフェ(ティラミスとカフェラテ)…8ユーロ

アルセナーレ近くのバーカロ(スプリッツ)…3ユーロ

最後に寄ったバーカロ(プロセッコとチケッティ)…6ユーロ

駅前で飲んだホットワイン…2.5ユーロ

 

二日目合計…178ユーロ

一日目との合算……246ユーロ(自分で計算して驚いてます)

 

次回の僕の旅行、ひいては他の方のARIA聖地巡礼に役立てばいいなという感じの、かるーい旅まとめでした。

 

 

その 夢に見た水の都は…(part1)

大学の卒業旅行、初めての海外、夢にまで見た実際のヴェネツィア

今回は東京→ヴェネツィアドブロブニクザグレブ→東京というルート(トランジットのためにドーハにも寄りました)を辿り、非常に濃密な時間を過ごさせていただきました。まずは旅行会社とのやり取りをすべてやっていただいた幹事長に感謝を述べてから、ブログの主旨であるヴェネツィア旅行記を書き始めようと思います。

 

1.出発前からローマ広場まで

初めての海外旅行ということもあり、多々戸惑うことがありました。まず池袋でパスポートを作るところからスタート。サンシャインシティの中にあるセンターで作成しました。パスポートに必要な写真も、センター併設の写真屋で撮影可能。

受け取りまでは一週間、料金は1万円ほどかかりました。

 

結果的にあまり使わなかったけれど、クレジットカードも初めて作りました。ヴェネツィアでクレカを切るタイミングがあるとすれば、リストランテでの食事、ムラーノやサン=マルコ広場周辺でのお土産購入のタイミングくらいでしょうか。

 

ビッグカメラ東急ハンズで必要なものを諸々購入。

したはいいものの、カタール航空の設備が良かったので使わなかったものも多々…。

買ったものとコメントをそれぞれ。

☆C型コンセント(300円くらい)……必須。ないと充電ができません。

☆折り畳み傘(3000円くらい)……なかったので。むちゃくちゃ使いました。

アイマスク(1000円弱)……旅行では使いませんでした。むしろ家で使ってる。

☆耳栓(700円くらい)……使いませんでした。

☆携帯まくら(2500円くらい)……カタール航空の座席に枕がついていたので使いませんでした。

☆衣類圧縮袋L用(1000円弱?)……8日の行程で、下着と靴下を毎日分ビニール袋で管理、ズボンと上着は2日に1着分しか持っていかなかったうえ、スーツケースが大きかったので使いませんでした。けど、スーツケースを小さいものでまとめるのであれば、必要だと思います。

☆ダイヤル式の鍵(1500円くらい)……セキュリティ対策に、と思って買ったものの完全にゴツいアクセサリーになりました。夏やカーニバルの時期に行くならここらへんの対策も必要かも。

☆セキュリティポーチ(2000円くらい)……なんのために色々買ったの? ってくらいここまで買ったものを何も使ってませんが、安心してください。これも使ってません。

 

<持って行った本たち>

 

地球の歩き方 ヴェネツィア湖水地方編……事前勉強として読み込みました。しかし所々情報が古く曖昧。ガラス美術館の情報や、レストランの営業時間など。

Amazon.co.jp: A11 地球の歩き方 ミラノ、ヴェネツィア 2015: 地球の歩き方編集室: 本

 

ヴェネツィア 増補改訂版 (地球の歩き方GEM STONE)……某ヴェネツィア旅行動画の投稿者の方にオススメいただいた本。カフェ・バーカロの情報が満載で、単純なヴェネツィアの読み物としても面白いです。今回の旅行は主にこれを参考にしました。

Amazon.co.jp: ヴェネツィア 増補改訂版 (地球の歩き方GEM STONE): 篠 利幸: 本

 

旅の指さし会話帳mini イタリア語……事前にイタリア語を少し勉強したし、というかほぼ英語が通じたし、回りたい場所の位置はすべて把握していたので、結局使うことはありませんでした。

Amazon.co.jp: 旅の指さし会話帳 miniイタリア [イタリア語] (旅の指さし会話帳mini): 堀込 玲: 本

 

(この他にボドゲを3種類持っていきましたが、関係ないので省略します)

 

銀行で円をユーロに替えました。

一応、5万円分をユーロに。レートとしては現地で替えた方がいい説もありますが、スケジュールがタイトな場合や、確実性を求める場合は日本で替えた方がよい。各自の判断にゆだねる、という感じです。

クレジットカードは二種類用意するのがベター(それぞれ使える店、使えない店があるため)だそうですが、前述の通り、体感でクレカの使用タイミングが少なかったのでVISAで一枚持っておけばよさそうでした。

結果として「3万円、380ユーロ、クレカ1枚」体制でした。

 

東京・羽田の国際線でカタール航空にてドーハ国際空港へ。

ドーハで乗り継いで、マルコ・ポーロ空港へ。

 

飛行機でマルコ・ポーロ国際空港へ着陸する際にヴェネツィア本島が見え、「いま、1期1話の灯里と同じ景色を見てる!」とテンションがあがりました。

そして到着。

EUの国籍を持っている人とそうでない人にゲートが分かれ、後者は長蛇の列……。シーズンではないとはいえ、出口はやはり詰まりますね。

 

空港の出口付近でATVO社のバスのチケットを8ユーロで購入。

外貨両替所もそこらへんにありました。

 

<バス会社について>

バス会社については、ACTV社とATVO社の2パターンがあります。今回僕はATVO社を利用しましたが、理由はただ一つ「スーツケースをトランクに入れられるから」。12人の大所帯だったということもあり、即決でした。

ちなみにACTV社のバスを使う場合、「ヴェネツィアユニカ」というカードを作る選択肢が生まれます。

バス停はいくつもあり、しっかりと乗る場所を確認する必要がありますが、近くの人にチケットを見せて訊けば教えてくれます。

 

ヴェネツィアユニカについて>

この流れでユニカについて説明します。ヴェネツィアユニカとは、自分の旅行プランに合わせて様々なサービスを組み合わせて作る観光用カードです。

そのサービスには、たとえばヴェネツィアの足である水上バスが一日無料になるもの、様々な美術館に無料で入場できるもの、公衆トイレを無料で利用できるもの、店でディスカウントを受けられるものなど無数にあり、その中からカスタマイズできます。

ネットで自分の情報を登録し、サービスを組み合わせてデータのユニカを作ったあと、空港や各所にある窓口で実物のカードと交換する形になりますね。

(ちなみに言っておくと、ARIA聖地巡礼であればユニカは必要ありません)。

 

ユニカ一枚を持っていれば、水上バスに乗れ、美術館に入れて、カフェで割引してもらえるなど、使いようによっては非常に便利なものです。

http://www.veneziaunica.it/en

↑公式サイト。

さすが観光都市ヴェネツィア、といった感じですね。

 

 

2.ローマ広場から一日目

 

なんだかめちゃめちゃ長くなったので、二日目は別の記事に分けます。

空港発のバスに乗って揺られること20分ほど、最後は海の上を走って本島へと乗り込みます。自動車はローマ広場と呼ばれる場所までしか乗り入れることができず、僕らはここで下ろされることになります。

 

広場から橋を渡ってサンタ=ルチア駅へ、そのままスカルツィ橋へ向かい、橋近くの路地を左折、直進してホテルに到着。出発前にGoogle Mapのストリートビューで散々見ていたので、迷うことはありませんでした。

チェックインを済ませ、シャワーを浴びたら一日目の探索を開始。

 

その前に、フロントの方に言ってレストランを予約してもらいました。

その名も「Ai assasini」。直訳で『暗殺者』。なんだか怖い名前(立地も実際めちゃくちゃ暗いところにあった)ですが、前述の本でもオススメされていて、色々なサイトでも評判が高かったのでここに決定。

「Mi so ra prenotazione?」と言って本を見せたら電話してくれた。

チップとして2ユーロあげました(バス券を買った時のお釣り)。

 

さて、時刻は夕方の4時。

スカルツィ橋を渡り、リアルト橋を目指します。リアルト橋といえば、3期の12話で灯里のプリマ昇格試験の際に暁とウッディーがエールを送った場所ですね。

地図は一切見なかったのですが、所々にある「per Rialto」の表示を辿って行ったら着けました。迷子になるのもヴェネツィアの醍醐味、と割り切ってスタスタ歩いたのもありますが、方向音痴で迷子癖のある僕でさえもすんなり到着することができて驚きました。

そこで一度解散して、レストラン組はサン=マルコ広場へ。

夕食まで結構時間があったので、途中にある「Cafe time marchini」で軽く甘いものを。

ついでに……学んだイタリア語を使うチャンス! と思って飛び込んで、エスプレッソと、チョコレートのタルトを注文。

イタリア語、通じた! お店のおばさんが褒めてくれたのもあって、とても嬉しかったですね。嬉しさついでにプロセッコを注文しました。

 

プロセッコとは、イタリアで飲める発泡性の白ワインです。飲み口も後味もさわやかで、食前の準備運動としては最適でした。僕はお酒が弱いのですが、プロセッコはぜんぶ飲んでも酔わなかったです。それほど度数も高くないものと思われます。

本当に美味しかった。どれくらい美味しかったかと言うと、クロアチアでわざわざイタリアのプロセッコを飲めるお店を探して飲んだくらい美味しかったです。

 

おばさんがプロセッコにおつまみをサービスして出してくれたのも、なんかもう感激でした。これから夕飯だけど。タルトと酒とおつまみをお腹にいれて、元気になったところで改めてサン=マルコ広場へ出発。

 

そして到着。

かつてナポレオンが「世界で一番美しい広場」と言ったこの場所は、やはり素晴らしかったです。鐘楼が高くそびえ、宮殿が堂々と建っている。オフシーズンで人のいない広場に電気がつくと、雨に濡れた広場が光を反射して、暖かい空間が広がりました。

僕たちが広場をちょうどぼんやり見ていた時に点灯したので、まさにヴェネツィアがくれた奇跡! と思いました。恥ずかしい台詞禁止。

 

広場から小広場、そこからスキアヴォーニ河岸へ出て、ため息の橋を見てからホテル・ダニエリの前を通過。ARIAカンパニーのある場所へと向かいます。

1期2話ではここで灯里が雨宿りをしていて、ダニエリ(姫屋)の窓から藍華が声をかけたんだなあ……と感動。むちゃくちゃ寒かったけど。

 

そこから河岸を歩きつつ、レストランのある「Calle de assasini」を目指しました。

どれくらい歩いたかな……。

普通に迷子になりました。

フェニーチェ劇場の近くでギャラリーを開いている男性に声をかけて、アッサシーニの場所を訊くと、親切に教えてくれました。ありがとうギャラリーの人!

 

そのカッレは、2期2話「その 宝物をさがして…」で「殺人カッレ」として出てくる場所です。たしかに殺人がいつ起きてもおかしくないような暗い場所でした。

ただ、そのレストランのオーナーはとても気さくな人で、僕らが注文を戸惑っていても色々と説明してくれ、パスタを個別に頼むのではなく、全員で何皿か大皿で注文し、シェアすることを提案してくれました(店側にとってもwin-winだっただろうし)。

おすすめの白ワイン、めちゃくちゃ美味しかった。

さっきのプロセッコとは違って、フルーティで優しい飲み口でした。

パスタを何種類か、肉団子、モッツァレラチーズとトマトを注文しましたが、個人的にはチーズが一番美味しかったですね。日本で食べる安いものとは違い、噛むときにキュッキュという嫌な食感はせず、濃厚なチーズの味が溶けるように広がる。トマトの水気と、ワインの重さに合う、最高のチーズだったと思います。

そして驚愕したのはお会計。全員かなり満腹になった、これは一人25ユーロくらいいくだろう……と思ったら18ユーロ。本当かよ、とレシートをもらって確認しましたが、やっぱり18ユーロ。安すぎます。ヴェネツィアのオステリアで普通に食事しようと思ったら3、40くらいは覚悟していたので、良い意味で意表を突かれました。

 

さて、その後女の子たちとはリアルト橋で別れ、男子3人で魚市場近くのバーカロへ。

そこで、スプリッツグラッパを飲みました。

プリッツは、アペロールというお酒を使った微炭酸のカクテルです。カットしたオレンジやオリーブの実に赤い色がかわいいお酒で、甘すぎず、飲みやすい。

基本的にどこのバーカロでも飲めて、安定して美味しいのでお気に入りです。

グラッパは、ワインにする際のブドウの皮を蒸留したお酒で、かなりアルコールの匂いがきつかったです。というか、僕はスプリッツグラッパを勘違いしていて、スプリッツが来るものだと思ったらグラッパが来たので慌てて「あそこの女の子が飲んでるカラフルなやつをくれ」と注文しなおしました(どっちも飲んだけど)。

独特な形のグラスにストレートで注がれ、4、50度ほどありましたが、なんとかちまちまと飲みきりました。今度はちゃんと「グラッパを飲むぞ!」という覚悟を持ったうえで飲みたいです。

 

雨脚も強まってきたのと、さすがに飛行機乗り継いでの行動一日目は疲れたので、ここで退散。帰りに酒屋さんでベリーニの小瓶を買って、ホテルで飲みました。

ベリーニは、赤ワインを桃のジュースで割ったお酒で、見た目にも可愛く、甘くて女の子に人気らしいです。アルコール度数もそこまで高くないので、グラッパのせいでふらふらになっていましたが美味しくいただけました。

 

友だちはぶっ倒れて即就寝していたので、僕も翌日に向けて体力を回復することに。

11時くらいには寝ていたんじゃないでしょうか。

 

一日目はこれで終了。

大雑把な予算を書いておこうと思います。

ATVO社バス…8ユーロ

水上バス一日券…20ユーロ

予約チップ…2ユーロ

エスプレッソ、タルト、プロセッコ(マルキーニ)…10ユーロ

アッサシーニ…18ユーロ

グラッパ、スプリッツ…8ユーロ

ベリーニ…3.5ユーロ

計…69.5ユーロ

 

正直「なんだ!全然使わねえじゃん!」と思いました。

翌日はいよいよ本格的にARIAの聖地をガンガン巡っていきます。

part2へと続きます。

AVVENIRE 再考

9.『ARIA The AVVENIRE』

 レビューとしては最後の項目になるが、二〇一五年に放映された劇場版の話をしようと思う。この映画は、アニメーション十周年を記念して作られた完全新作となっている。詳しい話はあとでするとして、とりあえず見た感想を一言で表すならば、

ARIA』は変わらずそこにあった。

 この一言に尽きるだろう。

 パンフレットのキャストインタビューを読むと、いかに彼女らが『ARIA』という世界を心に持ち続け、この時を熱望していたかを知ることができる。監督をはじめとしたスタッフたちの作品に対する深い愛情が、数年越しの奇跡を起こした。恥ずかしいセリフ禁止、と突っ込まれそうだが、本当にそう思えるくらい、映画は良いものだった。

 僕がここでいくら感想を言っても始まらないので、まずは時系列や、その他新登場のキャラクターの紹介をしよう。

 この映画は、三篇の短いお話をまとめたものである。

 一話の時点でアイちゃんがすでにシングルであることから、「ORIGINATION」の最終話から結構な時間が経過しているであろうことが分かる。

 一話から三話まで、それぞれアイたちの現在の物語と、灯里やアリシアの過去の物語が交わるように語られる。

 この映画全体を通しての見どころは、二つ。

一つは、あんなに幼かった灯里が、優しいお姉さんになっている点。年末年始に久しぶりに会った親戚のおじさんのような気分で感涙してしまった。

 もう一つは、やはり新しい後輩たちの活躍であろう。今やすっかり落ち着いた灯里や藍華たちが、かつて持っていたエネルギッシュな「素敵パワー(映画でそう呼んでいた)」を、彼女たちもまた持っている。

 次の世代が動きだすワクワク感は、新鮮で、こそばゆい。

 

【一話】――「その 逢いたかったあなたに…」

  • あらすじ

 朝の支度をする灯里は、窓の外に立っている晃に気付く。

 彼女はアリシアの「裏誕生日」を祝福するためにプレゼントを持ってきたのだが、生憎アリシアはゴンドラ協会のゲストを急きょ案内することになり、会えないことが分かる。

 帰ろうとする晃に、灯里は言った。

「自主練習に付き合っていただけませんか」

 アリシアがよく使うコースを進みながら、彼女を探す二人。しかし、とうとうその姿を見つけることはできなかった。

「実は、今日もプレゼントを渡しに来たわけではないんだ」

 夕方、晃は悲しそうに話し始めて――。

 

  • 人物、単語など説明

《裏誕生日》

 アクアの自転周期や公転周期は地球と大きく異なり、『ARIA』の設定では地球の十二ヶ月が、アクアでの二十四ヶ月にあたる。

そのため、正式な誕生日とは別に、その十二か月後に「裏誕生日」と呼ばれる日があり、ネオ・ヴェネツィアではそれを祝うことがある。

 

  • レビュー、おすすめポイントなど解説

 輝く水面、鳥の鳴き声、回る風車。

ARIA』が帰ってきた。それだけで奇跡なのだが、「鳥と仲良くなろう作戦」を決行するも失敗するいつものアリア社長、それを見守るどこか大人びた灯里、「諦めなければ叶います!」と元気いっぱいのアイ。

さっそく見せてくれる、新しい「ARIA COMPANY」の姿は、僕たちがずっと待ちわびてきたものであった。

最初のやりとりが第一のおすすめポイントなのだが、『ARIA』をまだ見ていない人たちには、なかなか分かりづらい感覚だと思う。他の見るべき点を挙げよう。

 なんといっても、「水の三大妖精」たちが浮かべる、子供のような笑顔が印象的。

ウンディーネとして観光案内をしている最中は、他の人に話しかけるのは禁止されている。だから、奇跡的に果たせた再会であっても、彼女らは祝福の言葉を交わすことはない。

それでも、彼女らは満足そうに笑う。

それは数年前、毎日一緒に練習していた頃のような笑顔。

夕焼けの美しいネオ・ヴェネツィアを背景に、アテナ・グローリィのカンツォーネが響く。

もう一度言わせていただく。『ARIA』が帰ってきた。

 

 

【二話】――「その 暖かなさよならは…」

◎ あらすじ

 自主練習の最中、見慣れない路地を見かけるアイ。その奥に、猫とは思えないほど大きな、けれど確かに猫の影が動く。

「ケット・シーだ」。そう確信するアイは影を追いかける。その先にいたのは、アイと同じ、シングルの二人組であった。

 

 ネオ・ヴェネツィア七不思議のひとつである、「不幸の石」。町の人間たちも避けて通るその石を踏むと、とにかく良くないことが起こるという都市伝説があった。

 最近ケット・シーに会えなくなっていた灯里は、その石を踏めば、彼にもう一度会うことができると思い――。

 

 

  • 人物、単語など説明

《あずさ・B・マクラーレン

「姫屋」に所属し、支店長である藍華の指導のもとで一人前のウンディーネを目指している、シングルの少女。自らを「有望株」と称するなど自信家な面を持ち、知らないことにはとりあえずチャレンジしてみる性格。

 

《アーニャ・ドストエフスカヤ》

オレンジぷらねっと」に所属し、「黄昏の姫君(オレンジ・プリンセス)」ことアリス・キャロルに指導を受けている、シングルの少女。初対面の相手に向かって「シベリア送りです」と口走るが、意味は理解していない。天然でおっとりしていて、口調がたまに文学調になる。

あずさとは練習友だち。

 

《ケット・シー》

 伝説上の大猫。猫の王国を統べる王様であり、黒いからだ、胸元の白いブチがトレードマーク。

ARIA』では「猫は、過去と未来を繋ぐ生き物と言われている(一期十二話)」ように、時間や空間を超える不思議な生き物として、猫が登場する回が多くあり、時々このケット・シーが絡んでいる。灯里が幽霊に連れ去られそうになった時に救ったり、踏み入れてはいけない異世界に灯里が進んでしまいそうになった時に制止したり、登場するときはいつも灯里を支えているイケメン猫。

 

 

  • レビュー、おすすめポイントなど解説

 アニメシリーズではやらなかった「ケット・シーとの別れ」の回を、劇場版で拾ってくれた。

 ネオ・ヴェネツィアの遥か上空から、ケット・シーと一緒に降下していく灯里。そこでお別れのやりとりが行われるのだが、普段の物語ではあり得ないほどの高い位置から俯瞰した、夕暮れのアクアの景色がとても美しい。

 それと、灯里の表情には是非注目したい。

 三話の台詞にもつながっていくことなのだが、「大切な人、大事な物と永遠に別れること」は悲しいことでありつつも、それが悲しいほど、心の底から大事に想っていた証なのだ。

「私、忘れません。貴方のこと……絶対に、忘れません」

その灯里の台詞、ケット・シーのまなざし、神秘的な音楽と、巨大な宝石のような黄昏時のネオ・ヴェネツィア

美しいおとぎ話を読んでいる気分になる。

そして、思い出話を語る灯里と、それを聞くアイちゃんという、昔であれば「アリシアと灯里」の構図がそのまま彼女たちに移っているということも、微笑ましい。

 

 

【三話】――「その 遥かなる未来に…」

  • あらすじ

 忙しい日々。灯里もまた、かつてのアリシアのように、同僚に会いたいという想いだけが募り続けていた。

 日ごろの感謝を込めて食事会を開こうと決めたアイたち三人組。その想いに応えるように、ネオ・ヴェネツィアアクア・アルタがやってくる。

 そしてアイ、あずさ、アーニャはそれぞれ動き出し、会場に彼女らの先輩三人とアリシア、晃、それにグランマを集めることに成功した。

 会が終わりに近づく頃、日ごろの疲れから、うたた寝をしているアリシアは、灯里との出会いの思い出を夢に見て――。

 

  • 人物、単語など説明

《アテナ・グローリィ》/《川上とも子

 水の三大妖精にして「天上の謳声(セイレーン)」の通り名を持つプリマであったが、現在はオペラ歌手として活躍しており、三話でも練習が長引き、食事会に来られなかった。

 実はこのアテナの声優である川上とも子さんは、二〇一一年にガンで亡くなっている。

 しかし、今回の『ARIA The AVVENIRE』では、スタッフクレジットに「アテナ・グローリィ役」として川上とも子さんの名前が載っている。またパンフレットのキャストインタビューでも、過去のインタビューを引用する形で掲載し、彼女も『ARIA』を一緒に作った仲間としてタブー視することなく、死を受け止めつつ尊敬の念をもって映画にアテナを登場させたスタッフの判断は、素晴らしいものだったと称賛したい。

 

  • レビュー、おすすめポイントなど解説

 新世代の三人が、アクア・アルタという奇跡(水害だけど)を呼び、グランマや三大妖精たちまでも予定を合わせて集まってしまうという、これまた大きな奇跡を起こす。

 まさに『ARIA』の世代交代と呼ぶにふさわしいエピソード。

 この話は、後半のほとんどの台詞が「名言」と呼べる言葉たちなので、レビューに代えていくつか紹介させていただきたい。

 

★『AVVENIRE 名言集』

「何だか――呼ばれたような気がしたんです」

 

 アリシアが弟子を募集してすぐ、地球に住む灯里から入社希望のメールが届く。「会社の将来を考え、責任をもって後輩選びをする」と決めていたアリシアであったが、灯里のこの言葉によって、彼女を社員として迎えることを決める。

 

「お別れは何時だって淋しいです。でも、それはたぶんいいことなんですよ、アリシアさん。

 淋しければ淋しいほど、悲しければ悲しいほど、それは……大好きな存在ができた証なんです。

 だから、この切ない想いもまた、幸せモノの証なんですよ」

 

 灯里と過ごす時間が長くなるほど、彼女が特別な存在になっていき、様々なことから目を逸らしてしまっていたアリシア

 アリシアは、灯里がとても大事にしていた「夜光鈴(光る風鈴)」とお別れをすることになったとき、どんな気持ちだったかを彼女に訊ねる。返ってきたこの言葉によって、アリシアはわがままで止めていた時間を、再び動かすことを決意する。

 

「叶わなかった願いの種は、胸の中に潜んで希望の光を放ち続ける。それは自分で消してしまわない限り、ずっとわくわくが続くのよ。叶わないと思っていた願いは、姿かたちを変えてひょっこり顔を出すこともあるの」

 

 アテナ先輩が来られなかったことへの嘆きに対して「でも、おかげで『願いの種』が消えずに済んだ」というグランマが、続けて周りに投げかける言葉。

 誰かに会いたい、何かをしたい、という願いは、叶わないこともある。しかしそれは、ただ悲しいだけのことではない。その願いを持ち続ける限り、人は前を向いて歩いていけるし、別の形に変わってその願いが叶う日が来る。

 今回の『ARIA The AVVENIRE』の舞台挨拶で、アリシア・フローレンス役の大原さやかさんが、

「(この台詞が)今回の作品につながっているので、本当に奇跡だと感じております。本日はミラクル記念日だと思っております」

 というコメントを残しているが、まさにその通り。アニメシリーズは完結してしまったが、劇場版という形で再び『ARIA』に触れる機会が生まれたのは、ミラクルである。

 アテナ役の川上とも子さんには、会いたいと思っても二度と会うことはできない。しかし、グランマの台詞のあとにどこからともなく聴こえてくる「ルーミス・エテルネ」は、たしかにアテナのものだった。アテナは『ARIA』で生き続けているし、彼女がいる限り、川上とも子さんもそこにいる。いつでも会うことはできるのだ。

 書いていて、このレビューのテンションが分からなくなってきたが、このグランマの台詞はそれだけ大きな意味を持っているし、このエピソードは本当に素晴らしいものだ。

 このエピソードのクライマックスでは、灯里や藍華、アリスがプリマへと昇格していくシーンのハイライトが流される。「本当にずるい」としか言えない演出だが、そんな演出もあるので、是非『ARIA』のアニメシリーズを最後まで見てから、この『AVVENIRE』をご覧いただきたい。

「さようなら、私のアッヴェニーレ。」

 

 2015年の夏、「ARIA The ANIMATION」放送から10周年を記念して劇場版「ARIA The AVVENIRE」が放映されたのは記憶に新しい。時系列としては、灯里ら3人がプリマになり、それぞれの進路を歩み始めたあと。アイのほかに2人のキャラクターが藍華・アリスの後輩として新たに登場し、初々しい3人組がそれぞれの師匠のもとで、プリマ(一人前のウンディーネ)を目指している。

 

 先日「ARIA The ANIMATION」を最初から通して見返していたのだが、恥ずかしいことに12話「その やわらかな願いは…」を初めて拝見させていただいた。なぜこの話を今になって見たのか、自分でもよく分からない。「The NATURAL」や「The ORIGINATION」の他の話も含めて、この12話以外はすべて見ているのに、不思議な話である。

 今回その12話を見て、多くのことを考えさせられたので、少し自分用のメモとしてここにまとめさせていただく。

 

1.「その やわらかな願いは…」

 

 灯里はある日、とある雑誌で「ネオ・ヴェネツィア最古の橋」の記事を目にする。ただ「最も古い」というだけで、観光名所などにはなっていないのだが、なぜだか灯里は心惹かれ、その橋を訪れることになる。

 雪が積もる中を歩いていくと、その橋にたどり着く。木造の朽ちかけた橋。トンネルのようになっている橋の中は真っ暗で、先がかすかに明るいだけ。ふと灯里が視線を感じて振り返ると、そこにはたくさんの「猫の眼」が光っていた。アリア社長に引かれて橋を抜けると、そこにはさっきまで降り積もっていた雪はまったくなくなっていた。

 

 そこで、カメラを準備している一人の女性に出会う。

 彼女の名は、星野明子。灯里が尋ねると「今日この水路にはじめて水が来るから、記念撮影のために買ったのだ」という。水の惑星と呼ばれているアクアに、まだ水が通っていない水路があったことに驚く灯里。二人はすぐに意気投合し、明子は灯里を家に招く。

 明子から様々な話を聴いたり、彼女が「遠方への連絡はこれが一番」と使っていたデータカードが、灯里の時代には誰も使っていないような旧時代の物であったりしたことから、灯里はこの世界が『遥か昔のネオ・ヴェネツィア』であることを確信する。

 

 夕方になり、灯里と明子は水路へと向かう。そこには子供たち、老人など町の住人がすでに集まっていて、水が通る瞬間を今か今かと心待ちにしていた。やがて少しずつ透き通った水が流れはじめ、オレンジ色の夕陽が水路に満ちると、歓声が上がる。

「この星は、これからもっと水で満ちた素敵な星になります。」

 灯里は確信に満ちた瞳で言う。

 灯里が帰るときが来ると、明子は灯里のもとに歩み寄る。そして、

「さようなら、私のアッヴェニーレ(=未来)。」

 そういって、灯里を送り出したのだった。

 

 

2.なぜ12話は衝撃的か?

 

 この台詞を聴いた瞬間、僕は膝から崩れ落ちた(実際は正座して見ていたので、心の中で崩れ落ちた)。なんだこれは。なんだこれは。って10回は言って、ひとしきり泣いてから、Twitterで「なんだこれは」とツイートした。12話がどうして衝撃的なのか、そしてこの台詞の意味について、これから喋ろうと思う。

 

ARIA The ANIMATION」は全13話しかなく、その中で「主人公格の3人」「3人の師匠たち」の話を最低限しなければならないという制約上、原作を組み合わせたり、アニメオリジナル要素を足したりしながら構成されている。

 だから原作では3巻にならないと出てこない話(アリス・キャロル登場回)が3話に持ってこられたり、9話という序盤の話(アウグーリオ・ボナーノ)がアニメ1期では最終話に持ってこられたりしているのだ。非常に苦心して構成したに違いないと思えるほど入り組んでいる。それなのに、各話が単純な「いい話」で終わらない、ARIAらしさを含有したストーリーとなっていて、あらためて完成度の高さを実感した。

 

 最終話として綺麗にまとまるために、そして2期の「The NATURAL」に続いていくために、年越しの話を最後に持ってこなければならないのは仕方ない。

 が、そこにオリジナルキャラのアイちゃんを再登場させ、そればかりか全員と知り合いにさせ、ネオ・ヴェネツィア世界での不思議な体験をさせるという、一粒で五度くらい美味しい物語になっている。佐藤順一監督の手腕を感じずにはいられない。

 

 このようにして12話「その やわらかな願いは…」を除くすべての話が、原作から抜き出され、組み合わされた話であるのに対し、この話だけは完全にアニメオリジナルで作られている。ちなみにARIAのアニメオリジナル話は、この話と、3期の1・2話の合計3話だけである。

 そうなると、絶対にやりたかったことがあるはずだ、と思わざるを得ない。

 その「絶対にやりたかったこと」って何だろう。

 僕は、それは「過去のアクアの話」と「最後の台詞」の二つだと思う。

 

 記憶にある限り、漫画『ARIA』では、過去のアクアの話は存在しない。それは主人公たちが「一人前のウンディーネになる」目標のもと、常に未来を見ながら生きているので、物語もそれに沿うように現在から未来へ動いていくからだ。ANIMATION4話「その 届かない手紙は…」も、一見過去の話ではあるが、ストーリーは「開拓時代に生きていた人へのビデオレターを、灯里が墓地まで届ける」というもの。だから時間としては「現在」の話だ。

 今のように水で満たされる前のネオ・ヴェネツィアは、どんな世界だったのか?

 主人公たちにとって、また読者/視聴者にとって当たり前のように存在する世界がなかった頃、人々はどう生活していたのか?

 それまでになかった「過去」という時間を示してくれた。

 その点で、12話はこれ以上なく衝撃的だったのである。

 

 

3.最後の台詞の意味とは

 

「さようなら、私のアッヴェニーレ。」 

 アッヴェニーレは「未来」を意味する言葉だ、と12話の最後で灯里がぼそっと呟く。この台詞は過去に生きる明子から、未来に生きる灯里に向けられた言葉であるのだが、それは水無灯里という個人だけに向けられた言葉ではない。

 この話で印象的なのは、徹底した「ネガティブな世界」だ。トンネルの中には、たくさんの猫の眼。そこを抜けると、葉を枯らし、冬支度をする木々。カメラを2度落とす、テラスの釘が抜けて壊れる、ロールキャベツを焦がすなどの小さなミスをたくさんする明子。水が通る前の人々の会話では、「今回もまた水は来ない」と悲観的な老人の台詞があり、その前に何度も失敗を繰り返していたこともうかがえる。 

 そんな世界にいて、灯里は「この星はきっと、水に満ちた素晴らしい星になる」という台詞を口にする。それを受けての「アッヴェニーレ」だ。

 明子は間違いなく灯里を「未来の人」であると確信しているが、同時に、彼女に「希望に満ちた、未来のネオ・ヴェネツィア」を見ている。

 星野明子という過去の存在が、ネオ・ヴェネツィアの未来に向けて放った言葉。

 それがまずこの台詞が持つ、ひとつの大きな意味であると思う。

 

 話は飛ぶが、3期「ARIA The ORIGINATION」において、灯里が一人前に昇格する話がある。そこで灯里は『遥かなる蒼(アクアマリン)』という通り名(一人前のウンディーネだけが使える、別称のようなもの)をアリシアに与えられるのであるが、その時の台詞が、

「ありがとう、私のアクアマリン。」 

 12話の台詞を聴けば、絶対にこの台詞を思い出さずにはいられないくらい、似た響きを持っている。もうこれだけで「やばない?」って感じなのだが、12話のラストシーンには、もうひとつ特徴がある。

 それは、「そこに登場するモブたちの見た目が、主人公格のキャラたちと似ている」ことだ。たとえば前述の「今回もまた水なんて来ない」という台詞の老人は、髪の色や肌の色がアテナ・グローリィと一緒だし、それをたしなめる若者は、アリス・キャロルが大人になった姿をしているのだ。同様に探していくと、藍華、晃、暁、郵便屋のおじさんなど、『ARIA』のメインキャラたちがそれぞれ子供になったり、おじさんになったり姿を変えて存在しているのだが、ここに「へえ、面白~い」だけでは済まされない、とてつもなく大きな仕掛けが存在している。

 なんと、アリシア・フローレンスに相当するキャラだけ、いないのだ。

 つまり星野明子は、その世界においてアリシア・フローレンスが姿を変えた存在であり、その彼女が「私のアッヴェニーレ」と言っているということになる。どひゃー。

 

 それだけではない。

ARIA The ANIMATION』は2005年に放送され、同年に放送が終了している。

原作の『ARIA』は、2002-8年に連載されていた漫画である。

そして灯里の昇格の話は、原作『ARIA』でも最終巻に収録されている話である。

 ここから導かれる結論は、

 アニメで星野明子が「さようなら、私のアッヴェニーレ。」という台詞を言ったとき、まだ漫画ではアリシアが「ありがとう、私のアクアマリン。」という台詞を言っていなかった。

 漫画でのアリシアの台詞は、アニメでの明子の台詞を受けたものである可能性があるということだ(もちろん、アニメが放送された時点で、漫画の重要な話の構成はすでに終わっていて、それを受けての明子の台詞だった可能性も否めない)。

 

 ARIAといえば「原作とアニメ化両方が大成功した作品」として名高く、「互いが互いを高め合って、より良いものへとなっていった」と言われるほどの名作だが、もしもこのアニメ明子ー漫画アリシアの台詞の関係性が本当に前述の通りであったら、これは、実はとてもすごいことなのではないだろうか?

 

 この台詞に関して、まだまだ言いたいことは尽きない。この文章を書き始めた時点でのタイトルは「晃・E・フェラーリ藍華・S・グランチェスタの師弟関係と12話の台詞について」だったことからも察してほしい。

 少しだけ長くなってしまったので、今回はここで一旦終わりにする。

 

 

ブレーメンの音楽隊

友人に米津玄師のアルバム『Bremen』を借りました。

とても素敵だったので、何曲か感想を書きました。

音楽を聴くのは好きだけど理論なんて分からないし、専門用語もないし、感覚的にダーっと書いた文章が続いているだけなので、本当に読みたい人だけ読んでください。

 

1.アンビリーバーズ

『今は信じない 残酷な結末なんて』

 

米津の曲、とにかく和音が解決しないイメージなんですが、「ここぞ!」というところで気持ちいいくらい開放的な進行をするんですよね。その「ここぞ」がこの曲では、サビの最初のフレーズに持って来られている。

歌詞を見れば、一番ではAメロからサビで夜明けが来る。二番では風が吹いている。

なんか希望に満ち溢れているんですけど……?

専門的な用語は分からないけど、パーカッションが民族音楽というか、始原的な、本能的な何かを呼び起こされるみたいなリズムじゃないですか。歌詞とあいまって身をゆだねられるような安心感がある。

あとはサビにてっぺんを持ってくるのがめちゃめちゃ上手い。

米津の曲には、クライマックスで伏線を全部さらっていくような爽快感があるよね。

アンビリーバーズを聴いて、改めて感じました。

 

 

2.Flowerwall

『誰も知らない見たことのないものならば今』

『僕らで名前をつけよう』

 

僕は音楽を聴くとき、ほとんど歌詞を気にしない。

それでもたまに「すげえ歌詞だ……」と思わず鳥肌立つことがある。

それがこの曲の一回目のサビの歌詞だった。米津の曲の歌詞はけっこう極端で、「陳腐だな、メロディに救われてるな」と思うか「こんな言い回しが存在するのか……」と感動するかがほとんどなんだけれど、完全に後者でした(ボキャ貧)。

米津の「主語が "僕ら" の曲」は、たいてい「万人が抱く、言い表せない複雑な感情」を歌っている(気がする)。

この曲は――説明するのは野暮かもしれないけれど――果たして幸福をもたらすものなのか、超えていくべきものなのか、得体の知れない"花の壁"にぶつかって『解らずに立ち竦んでいる』二人の曲。

俗っぽく咀嚼すると、友達とか恋人といる時に感じる幸せなような、不安なような感じ。このままで幸せなのに、ここから旅立たなければいけないような感覚。

米津、お前は、幸せを、幸せと、素直に受け入れられねーのか!!

結論としては、『運命』を『花の壁』に託すのが神がかっていました。

 

あと連符の使い方が上手いよね(『色とりど "り-の-は-な-で-で" きた』の6連符)。

聴かせたいここ一番の音を連符で置いてくるから、つい聴きいってしまう。

それも米津っぽさ。

 

 

3.ウィルオウィスプ

米津には珍しい曲。サビのメロディもだし、何より三拍子。このアルバムが『Bremen』ってだけあって、全員なんか知らんけど町を離れて高速道路っぽいところを歩いている。次の曲もみんな逃げ出してるね。

 

 

4.Undercover

『ラッキーなヒットでいいんだよ こんな苦しみを味わうより』

 

米津の真骨頂ですね。無茶な歌い方をしてる曲も結構あるけど、歌詞をメロディに乗っけるのがめちゃくちゃ上手い曲もいくつかある。これがそれ。あと『ドーナツホール』。

なんでかな、と思ったら、気づいちゃいました。

「っ」を使うタイミングがすごく良いです。小川を飛び越えるみたいな、スキップのリズムみたいな、とても小気味よい刻み方をしてくれる。体がメトロノームみたいに自然に揺れる。

ドーナツホールのサビも『失った 感情ばっか 数えて(い)たら』で「っ」の音がたくさん出てくる。「(い)」もリズムをとるための音ですし。

米津はこれがあるからやめられねぇな……。ってなった一曲でした。

このアルバムを聴いて一番の収穫だった。めちゃくちゃ好きです。ありがとう。

 

あと米津は野球用語を歌詞に練りこむのが好きだな!!

 

 

 

5.シンデレラグレイ

『(どの部分の歌詞もキツかった)』

 

メンヘラかよ。なにがあったんだ一体。

それはさておき、米津の曲って歌いづらいんですよね。まずリズムがむちゃくちゃ難しくて、それはたぶんこの曲のサビに代表される「細かい音符に詰め込んで、長い音で伸ばして」を繰り返すのを、米津が好んでいるからだと思うんだけども。

歌詞も不安定ならリズムも不安定。かと思いきやサビは結構ふつうだったり。

最後終わったかと思ったら終わってなかった。

嫌いじゃないけど、歌詞だけを見るとちょっとウゲってなった。

それで終わらせないのが米津ですけどね。

 

 

 

8.ホープランド

『ソングフォーユー 憶えている? 僕らは初めましてじゃない』

 

米津らしからぬ曲。けど、ある意味米津らしい曲。

まず『ウィルオウィスプ』もそうだけど、米津ってこんな三拍子の曲作ってたっけ?

あんまり記憶にありません。

三拍子というと、マーチというかワルツというか、一歩一歩踏みしめていくようなテンポになって、みんなが足並み揃えて歩くみたいな、童話らしさが増した。メロディもそれに合わせるように素直な展開が多かったと思う。

それはこのアルバムが『Bremen』だということを考えれば、成功だったのかな。

そういう意味では米津っぽくない。 

 

『いつでもここにおいでよね』という歌詞、とても暖かい。「よね」がいい。

幸せのなかにあるひょっとすると不幸せなもの、あるいは、どん底に思われる場所に差す光みたいな、そういうのを歌にするのが上手い。たまに突き放されたり、ひょっとすると救ってくれたりみたいな、和音と不協和音のバランスが心地よい。

そういう意味では米津っぽい。

 

 

Bremen』、米津の取っつきやすさと味わい深さが存分に出てたと思う。

トーシロが何いっとんじゃって感じだけど、要はこのアルバムには一発で聴いて「あ、こいつ好きだ」って思わせる即効性があって、加えて今まで米津を追いかけてきたファンも知らなかったような、新しい米津の一面を垣間見られる魅力がありました。

 

ただ米津、『お前ら5分後に別れんの??』みたいな曲多すぎます。

ARIAの映画を見た

今回は別になんでもなくて、ただ「ARIA THE AVVENIRE」を見てきました、というだけの話です。それ以上のことはなんも書いてないです。

 

2005年に「ARIA THE ANIMATION」が放送されてから、「THE NATURAL」、「THE ORIGINATION」とやってきたARIAシリーズが満を持して新作を放映。コミックはすでに完結していて、アニメも3期の終わりで完結、と思われたのだが、主人公たちの「その後」を描いた映画が続編という形で発表された。ので見てきた。

 

簡単なストーリーをば。

火星をテラフォーミングして作られた水の惑星、AQUA。

マンホーム(地球のこと)にかつて存在した、ヴェネツィアという街を模して造られたネオ・ヴェネツィアでは、水路をゴンドラで自在に行き来する水先案内人「ウンディーネ」たちが活躍していた。

「ARIA」シリーズは、数あるウンディーネの会社のひとつ「ARIAカンパニー」に所属する「水無灯里」という少女が半人前のウンディーネから、仲間や先輩、あるいは不思議な出来事との出会いを経て、少しずつ成長していく物語である。

 

ここから少しネタバレになるが、あまり詳しいことは書かないので見てほしい。

 

漫画とアニメでは、灯里が一人前のウンディーネ(プリマ、と呼ばれている)になり、灯里の仲間である別の二人もプリマになって物語が終わっている。

「THE ORIGINATION」のラスト数話で全員がプリマへとなっていく過程は涙なしには見られないのだが、もちろん彼女らは最初期はゴンドラを漕ぐのもおぼつかなく、コミュニケーションが必須の職業でありながら素直に喋るのが苦手という子もいた。

主人公の灯里とて、天才アリシア・フローレンスの唯一の弟子ということで周りの注目こそ集めるが決してゴンドラ漕ぎがうまいわけではない(最初は漕ぎ方が"逆"だったほど)。

マイペースに、不器用に、周りに助けられながらゆっくり彼女なりの道を見つけ出し、成長していったのである。

 

そして映画を見る。

映画のざっくりとした紹介。

「短編3本」

「それぞれの話が"過去"と"現在"を混ぜた話」

「主人公たちがプリマとなったあとの話」

です。

ポスターを見ると、新キャラが三人(一人はANIMATION1話に出てきたが)いることがわかる。それぞれ制服がARIAカンパニー、姫屋、オレンジ・プラネットなので「なるほど、灯里たちに弟子ができたのか」というのはまあ容易に想像がついた。

そのうち一人はアイ。ARIA THE ANIMATION一話で登場し、あとは声のみの出演となった彼女がついに灯里の弟子になった。もう二人はそれぞれ藍華(「恥ずかしいセリフ禁止!」でおなじみ青い髪の子)とアリス(「でっかい○○です」が口癖の緑髪の子)の弟子になっている。

短編の中で「アイたち新しい世代が出会い、絆を深める」話と「灯里たちの過去の」話がうまく混ざっているというわけである。

 

そして映画を見つつなにより感じたのが、「灯里たちがお姉さんになっている……!」ということだった。アリシアさんがいた頃の灯里といえば、マイペースで「はひ~」と情けない声、言動もどこか天真爛漫な少女らしく、あか抜けない雰囲気があったのだが、映画でアイたちに接する彼女を見て「灯里も大人になっているんだな」と思い、父のような気持ちでまず涙した。

少女のようなエネルギッシュさはないが、引き換えに手に入れた落ち着きは完全に「あのアリシア・フローレンスを継いだ者」と呼ぶにふさわしい尊いなにかを放っていた。

 

短編の内容も、「ついにその話をやってくれたか!!!!」というものだった。

ウンディーネの会社には、一匹の「火星猫」と呼ばれる通常の猫より知能の高い青色の目をした猫を社長にするというルールがある。ということで全編を通じて猫に関連した話が多くあるのだが、その中でも「ケット・シー」という巨大な妖猫に関する話は数が多い。出会いの話から、別れの話まである。

実はアニメ3期を終えて、まだ「ケット・シー」との別れの話は消化していなかった。漫画では非常に印象に残る名作だっただけに、それとアリシアさんの結婚だけが心残りという読者も多くいた。

まあ、映画で、やってくれました。という話です。すごくよかったよ。

内容は見てね。

 

あとは、少女アリシアさんが可愛くて、協会の要職に就いたアリシアさんがなんかエロくて、結論としてアリシアさんは女神でした。あらあら、うふふ。

 

あとは今までのアニメで語られなかったこと、まったく新しいことから細かいことまできっちり短編という形に、しかし焦りすぎず、あくまで「ARIA」という時間でまとめてくれた佐藤順一監督は本当にすごい。もちろん原作の天野こずえ先生もすごい。感謝しかありません。「あまんちゅ」のアニメ化待ってます。

 

 

アニメを見ずとも楽しめるとは思いますが、過去の話を補填する形で進む話もありますので、ぜひアニメか、漫画をすべて通してから映画を見るとより一層楽しめると思います。

 

 

見て!!!